石松伸一先生(聖路加国際病院 救急部部長 R・S・C理事)講演

みなさん、こんにちは。聖路加病院の救急の石松でございます。私は、ちょうど15年前のこの事件の日の朝、病院の救急部、救急外来というところにおりまして、最初の情報は、近くの駅で爆発火災だという情報をいただいて、これは救急の出番だということで、ずっと準備をして待っておりました。で、その結果、実際に来られる患者さんは、爆風で火傷もしていない、怪我もない、ただ非常に息が苦しい、目が痛い、とおっしゃっている。で、その中で、心臓も呼吸も止まってしまったという非常に重篤な患者さんも来られるという現場を担当いたしました。

その日から一週間は次から次にいろんな患者さんがいらっしゃったんですけれども、それで患者さんが駅から直接来られるということが一週間過ぎてなくなってきましたので、この事件は少なくとも救急の立場からは終わったんだろうなと思っていました。ところが、それから一ヶ月、半年、一年と経つにつれて、やはりあの時被害に遭って入院したんだけど、いまだに例えば目が見えない、頭が痛い、吐き気がする、夜も眠れない、という風なお話を聞きまして、そういった患者さんが、いろんなそれぞれの専門のところに相談には行かれたんですけども、先ほどお話が出たように、「何ともない」と言われたり、場合によっては「気のせいだから」と言われたり、それでも本当に具合が悪い、仕事ができない、お家の中にいるのも大変だということで、いろいろご相談にいらっしゃいました。

それで、これは何らかの後遺症ではないかということで、最初に診察を担当した医者の立場として、引き続きやはり何か見ていて役に立つのではないかということで関っているのが現状でございます。

それで、今日私は、この15年間で特に私が担当しておりますこの救急医療、ここで救急(災害)医療と書きましたけれども、この15年でどのように変わったのか、この15年はどうだったのか、日本にとってどうだったのか、ということをちょっとお話したいと思います。

実は、ご承知のように、1995年というのは、この地下鉄サリン事件の二ヶ月前に阪神淡路の大震災がありました。それから二ヶ月経ってこの大きな事件がありました。日本のこの救急とか災害医療は1995年から変わったと言われています。我々の中では、それまでは安全・安心というものが非常に安くてタダだった、と思っていたんですけども、安全・安心というのはタダではない、しかもかなり高い、ということが分かってきたわけでございます。

最初にお話しましたように、私共の病院にこの事件の第一報は爆発火災というところだったんですね。しかもその後、通常は、例えば原因が毒ガスであるとか、あるいはどこどこの駅で撒かれたという風な情報は、病院には全く来なかったということがありまして、病院にやはり最初の現場の情報、特に患者さんの症状がどうなのか、何人位いらっしゃるのか、それと重症度ですね、どういった重篤な程度なのかというようなことを教えてほしいという風なことが当時はなかったんですけれども、これが現在はここにあります災害情報システムというものができました。これは自然災害やテロのような人為災害だけではなく、例えばどこどこの駅で列車が脱線したという風なことが救急病院には、地方自治体が設置した特に救急や消防とかが設置した端末というのがありまして、例えば東京都内ではなく遠方で地震があるとアラームが鳴るんですね。それで、自分たちは揺れを感じてなくても、アラームが鳴って、どこどこの地域で震度何の大きな地震が発生した、しかもその地域の医療機関が破綻しているという風な情報がすぐに遠方に伝わるようになっている。それで我々は、遠方の災害ですとどうするかというと、ベッドはどれくらい空いているか、手術室は使えるか、どんな患者さんが引き受けられるか、その遠方から患者さんを連れてくる、被害を受けていない病院に連れてくるという風なことが相互にやりとりできる、こういった広域災害救急医療情報システム(EMIS)というものができて、今も訓練等々では頻繁によく使われています。
それと、防災無線というのは以前からありましたけれども、これが地域毎であったり、東京ですとその担当の区と直接病院が話ができる。それで、病院と区が話をして、今病院にはこんな患者さんが来られているということが東京都に伝わるようになっているんですね。それで、東京都のほうから例えば支援が必要、ベッドが必要というような応援していただけるというものが現在はできています。

2番目が、当時問題になった、原因が例えば毒物だったり、サリンだったりしたときに、検知をしたり、分析をしたりということができるか。で、15年前はそういうことができなかったわけではありません。消防庁には、化学機動中隊という分析器を積んだ特殊な車がありまして、それが現場に行って分析をする。ですから、15年前でも、塩素ガスがもれた、あるいは光化学スモッグが出たというようなものは分析ができていたわけです。あとは科学警察研究所であったり、あるいは松本の場合は衛生研究所というところで分析がされたようでございますけども、一部はできた。ただ、当時はまさか化学兵器である毒ガスが街中で使われようとは想定もしておりませんでしたので、こういったサリンとか、毒ガス兵器が分析の項目には入っていなかったんですね。この特に分析の領域に関しては、15年で発展しました。特に、現在は◎をしましたけれども、携帯の分析器ですね、ある種類の毒物に関しては、手で持って行く程度の機械で現場で分析ができる。で、現場で分析が出て、こういった結果が出たというとすぐにそれを病院のほうに伝える、警察に伝えるというところです。

あと、今、警察にもNBC部隊、NBCってテロの大きなやつですね、核兵器であったり、生物兵器、化学兵器、こういったものを対応する部隊があります。当然自衛隊はそういうものを持っている。それから、病院によっては、いくつかの病院は、こういった毒物とかを分析できる機械を持っている病院がだんだん増えてきています。そういった意味で、原因物質の分析に関しては、現在ですと例えばサリンが発生、サリンが撒かれたということになると、現場でサリンが検出されて、サリンが検出されたということがすぐにいろんな部署に伝わるということになっています。

それと、あと、除染と書きましたけれど、毒物が身体についたり、あるいは染み込んだままで会社に行かれたり、お家に行かれたりすると、その染み込んだ毒物がそれからゆっくりとまた放散して、例えば駅とか電車にいらっしゃらなかった方に被害が出るという可能性があります。そういった意味で、毒物を浴びたり、かぶったり、あるいは触れたりした場合には、まずその衣服或いは身体についている毒物を除く、汚染を除くという意味で除染をするべきという風に言われておりますけども、15年前はこういった除染をするという発想がなかったですね。当然、軍隊の中ではあったんですけども、我々市民のレベルでこういった毒物をかぶったときに除染をするという発想はあまりありませんでした。

ところが、現在は、こういった特に地下鉄サリン事件を教訓に、何か事件が起こったときに真っ先に現場に行く消防や警察、自衛隊は、こういった除染をする設備があります。除染でも、難しいことはなくて、例えば服に染み込んだのであれば、上着を脱ぐだけでも十分な除染になります。もし、衣服に、皮膚に付着しているものであれば、洗い流さないといけないということで、この除染設備というのはシャワーで済む場合もあります。

こういったものが装備されていますし、いろんな知識ですね、こういった装置がありますよというようなことは、少なくとも現場で対応する消防、警察、自衛隊或いは病院の関係者にはかなり周知もされてますし、訓練も行われているという状況です。

それと、あと、皆さんは、トリアージという名前を聞かれたことがあるかもしれないです。トリアージが最近で有名になったのは、秋葉原の事件の時に、現場で出動した救急隊或いは医師によって患者さんの重症度を判別して、どの患者さんから真っ先に病院に連れていくかという風な順番を決めることであります。これは、病院がいっぱいあるということではなく、明らかに傷病者の数が医療のレベルを上回るような時に、誰から治療するのが良いかというのを順番をつけるというとことなんですけども、15年前は実際に現場でトリアージをするということはほとんど考えられていなかったです。

ところが、現在はこれがかなり浸透してまして、このトリアージの発想はですね、最大多数の傷病者を助けるというところであります。つまり、どういうことかというと、厳しい言い方かもしれませんけれど、助かる見込みが厳しいかなり重篤な患者さんよりちょっと医療を急げば助かる患者さんのほうを優先するという考えです。それで、こういった患者さんには、タグという札を付けるんですね。急ぐ患者さんは赤色、次に急ぐ方が黄色、そう急がないけども医療が必要な方が緑という様なものを付けるようになっています。こういったトリアージというものができています。これは、以前にはなかったことで、現在こういったもので、少なくとも急ぐ人は近くの病院に先に連れていく、急がない人は多少遠方で搬送に時間がかかっても連れて行くことになっています。

さっきの除染ですけども、病院の入り口で除染ができるかというところですけども、実は当院に当日640人の被害者の方が搬送されたり、いらっしゃったんですけども、病院の中の職員がですね、やはり縮瞳、瞳孔が小さくなったり、頭が痛くなったりということがあったんですね。幸い、二次被害といいますか、二次汚染で重篤なものはなかったんですけども、もし、濃度が濃かったり、大量に液体が付着したままで病院に運ばれた時には、治療を担当しているいろんな病院のスタッフが、次々に倒れるという可能性があります。

幸い、現在は病院には入り口にこういった汚染した皮膚を洗ったりするテントを配備していただきました。ところが、実際に大勢具合の悪い患者さんが来られた時に、シャワーを順番に並んで浴びることができるか、という実運用に関してはまだ・・・というところがございます。

あと、当時、サリンと分かってから、パムを使うということで、解毒剤というものがあるんですけども、毒物のうちいくつかは解毒剤のあるものがあります。解毒剤も、どこでも十分な量、置いているものじゃないんですね。特殊なこういったサリンという患者さんに使った解毒剤で有名なものでパムというのがありますが、あれば基本的には有機リンという農薬の中毒の治療で使うもので、農薬中毒が少ないこの都心部においては、あまり備蓄されていないんですね。ところが、現在は、こういったサリン事件を教訓に、解毒剤の何種類かは東京都が備蓄をして、例えばいろんな区の倉庫であったり、災害用の資材置き場に備蓄されているんですね。当然、病院も大きな、例えば救命救急センターとか、都立病院のようなところでは、備蓄しているという現状があります。これは、かなり進んでいると思います。

最後に、追跡調査やケアなど、先ほど木村先生と大臣がお話になっていましたけども、おそらく15年前の時点では、こういったものは十分にはなかったんではないかと思います。現在は、「?」から「○」ということにしましたけども、現在はリカバリーサポートセンターを始め、いろんな組織が、しかも今回警察の公安のほうも、犯罪被害者支援室というもので、給付金ということをきっかけにですけども、患者さんの被害の状態の聞き取りであったり、記録の保管という部分もかなりやっていただいています。ただ、医者の立場として一番知りたいのは、患者さんの病状がどうだったのか、今後どうなっていくのか、その病状については何か治療法があるのか、前もってどうしておけば予防ができるのか、というようなことが知りたい。そういった意味でも、具合が悪くなってこられるだけではなくて、普段例えば毒物なんかの汚染を受けた被害者の方がいらっしゃった時に、定期的にちょっと話を聞かせてください。それが、ご自分が希望される方だけではなくて、明らかに被害に遭った方っていうのは、半ばこちらから、こちらっていいますか、呼びかけて是非参加して下さいということで、被害に遭われた方の名簿なんかを作って、まあ個人情報がありますので、皆さんというわけにはいかないんでしょうけども、こういった追跡調査ができて、一番はですね、訳の分からない毒物なんかの事故があったときに、健康状態がどうなっていくのか、という事実が知りたいということです。これは、かなり今後可能性がありますけども、まだまだ発展する余地があると思います。以上であります。

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